Simple Seamless Sustainable

「ハレ」と「ケ」と「ケガレ」

シゲラワークスが掲げる「シンプル」を深掘りしていきたいと思います。

シゲラは、シンプルという言葉の中に、いろいろな意味を込めています。

例えば、モノをシンプルに、というと

「コンパクトにする」

「軽いモノにする」

「簡単に使える」

「丈夫なモノ」

といった感じ。

シンプルなモノを長く愛用することを大切にする行為こそシンプルな生活につながると考えています。

では、モノではなく、コト(活動)についてはどういう意味となるでしょうか。

今回は、コトのシンプリシティについて、お話します。

シンプルに生きづらい世の中

シゲラは、シンプルな生活というのは、「質素な暮らしする事」だと思っています。

朝日とともに朝起きて、

昼間は仕事し、

夜は家族と過ごして、眠くなったら寝る。

上のように書くと極めてシンプルな感じがしますが、日々の生活をしていると、

これだけではだんだん鬱憤が溜まったり、ストレスを感じてしまったりしますよね。

なので、そのガス抜き、ストレス発散をすることになります。

お菓子をつまんだり、夜な夜なラーメンをすすったり、コンサートに行ったり、飲みに行ったり。

そうすることで、心のバランスをとりながら生きていくのがヒトの性ではないでしょうか。

しかし、昨今、街には過剰なストレス発散を促してくれるモノ・サービスで溢れています。

しかも、テレビやネットから個別のマーケティングで狙い撃ちされた広告で誘導されています。

ネットの中でも、ストレス発散のためのモノ・サービスがたくさんあり、もはや広告されることから逃れることは出来そうにありません。

こうしているうちに、本来なら日々のストレス発散ができればよかっただけなのに、

必要以上に発散が必要なのだと思ってしまい、いつの間にか、ストレス発散することが目的化してしまっている負のループに飲まれてしまう。

これが、今、生活している環境なのだと思います。

だからこそ、今、毎日がお祭りになっている現状をストップさせて、日常を取り戻す必要があるのです。

ハレとケ

日本の神道に由来する言葉だと思うのですが、「ハレとケ」という言葉があります。

「ハレ」は、お正月やお盆、七五三、冠婚葬祭といった特別なイベントのことを言います。

「ケ」は、ハレ以外の日常生活を指しています。

「ハレ」では、特別な日として、いつものとは違う格好(晴れ着など)を身にまとい、いつもとは違う料理や酒を飲んで、無礼講でその日を楽しみます。

こうすることで、「ケ」の日常とは違う異空間を作り出し、日頃のストレス発散をするのが、我々日本人の文化なのだそうです。

このハレとケにもう一つ、「ケガレ」という言葉も含むことがあります。

「ケガレ」は、そのまま「穢れ」の意味からくるものですが、日常生活でいうとストレス溜まってきた状態というイメージでしょうか。

諸説あるようですが、日本人は、「ハレ」→「ケ」→「ケガレ」→「ハレ」→「ケ」→「ケガレ」→・・・

を繰り返しながら生活していると。

つまり、頑張って働いて、だんだん疲れてストレス溜まってきて、お祭りをして発散する、を繰り返しているわけですね。

「ケ」を取り戻そう!

現代人は、この「ハレ」→「ケ」→「ケガレ」サイクルが狂ってしまっているように思います。

便利・快適・簡便を急速に求めるがあまり、「ケ」は悪きものとして圧縮され、

でも、スピードを求められるがあまり、心のゆとりは削り取られ「ケガレ」が急速に溜まる。

そして、「ハレ」を求めるがあまり、ストレス発散がメインになり、そのうち「ハレ」に慣れてしまって、救いがなくなっていってしまう。

この狂おしい循環を、一度断ち切らなければなりません。

そこで、「ケ」を取り戻すことが大事だと思うわけです。

「朝は、太陽の日を浴びて深呼吸する」

「皿洗いをする」

「風呂上がりにストレッチする」

「昼寝する」

「ご飯はしっかり噛んで食べる」

「寝る時はスマホも音楽もなしで静かに過ごす」

こんな「ケ」の一コマにじっくり時間をかけて、その日常に向き合う。

そうすることで、「ケガレ」の溜まるスピードが穏やかになり、

過剰な「ハレ」をなくすことができる、そしてそれは、「ハレ」が再度、輝きを取り戻すことになる。

このような「ケ」を中心とした生活を取り戻すことが、心も体もサスティナブルに保つヒントになるのではないでしょうか。

まとめ

以上、「ケ」を中心とした生活=シゲラの考えるシンプルな生活です。

コトをシンプルにするとは、

「ケ」に重視した活動を目指す、という意味になります。

今までお話した通り、シンプルな生活は、決して「質素な生活」しかしてはいけないということではないというふうに思います。

「ケ」を中心とするからこそ、「ハレ」の価値が高まると思います。

過剰な「ハレ」が多い現代だからこそ、「ケ」が逆に生きるような気もします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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